塾やるのって大変?
家庭教師として7年弱勤めたのち2007年4月から個人指導の塾を始めました。仕事のこと、趣味のことなど、色々ととりとめもなく書いてみようと思います。
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最低です・・・
以前に記事で書いたことがあったんですが、
なかなかがんばらない生徒というのがいました。

いろいろあって再開したんですが、
再開後2か月ほど様子をみていましたが、
目立った変化(成長)がありませんでした。

で、先日、僕の方から
「このまんまじゃ何にも変わってない。
 自分でどうするかよく考えろ。
 変わらないならやめよう」
という話をしました。

その時点では彼の意欲も切れてしまったみたいでした。
「自分で自分なりにがんばってみます」
みたいなことをいっていましたが、
言われたことさえまともにやらない状態で
一人になったらもっと堕ちていくのは目に見えています。
(僕としては他の手段、塾・他の教師等でも構わないので
 自分のためにそういうものをしっかり活用する考えを
 持って欲しかった)

ですが、お母さんからの懇願もあり、
なんとか続けてくださいと言われ、
昨日指導に行きました。

こうなる以前はかなりフランクに話していたのですが、
昨日は、僕は全部敬語または丁寧語で話しました。
(もう他人って感じですね)

で、彼もそれに耐えきれず、
「どうしたら元に戻ってくれますか?」と。

まあ、いうまでもないですね。
で、さらに、
「しっかり頑張ったら戻ってくれますか?」

「しっかりやる」
なぜ、それがもっと早くいえないんでしょうか?

で、僕は自分の考えていることを
いろいろ話しました。

問題はここからです。

僕は彼をけっこう長く見てきているんですが、
それだけ長く見てきて、いろんなこと、
特に「考える」ということを教えてきたのに
今回の彼の考えのなさがあまりにも残念だ、
と話をしていて、
不覚にも目が少しウルウルになってしまいました。
教えるのを7年くらいしてて初めてのことです。

それはそれで、彼には感じるものがあったようなんですが。

僕自身は教える立場として

「自分がお前のためにこれだけ思っているのに」とか
「自分がお前のためにこれだけがんばってるんだから」

ということをタテに生徒にがんばることを求める
ようなことだけはしたくないと思っています。

生徒には誰のためにでもなく、純粋に自分のために勉強してほしい。

そのために、指示を出したり、叱咤したりするのは
僕の仕事だとは考えていますが、
昨日のは絶対に自分の中のルールでは
してはならないことでした。

ということで、今日は自分に対する
嫌悪感で非常に落ち込んでいます。
(復活は早いんで大丈夫です、ハハハ)

その生徒が
「祐介があれだけ自分のことを思ってくれてるんだから
 勉強しっかりがんばろう」
と考えるようには、絶対になって欲しくないな、
と願ってます。

自分のために頑張ってください。
「儀式」はあって良いのかも・・・
今日の話はここにもコメントしに来てくださる
ママレモンさんの「所変われば
という記事を読んで考えたことを書きます。

よろしければママレモンさんの記事もご一読ください。


で、話したいのは学校でチャイムがないのは是か非か、
ということなんですが。

チャイムがないことによって、
生徒が時間に対する意識をしっかり持てることは
非常に良いことだと思います。

が、チャイムには別の効用もあるのではないか、と。

それは
始業時のチャイムによって、
「これから勉強をするんだ」
という、意識のスイッチみたいなものが働くのではないか、
ということです。

イチローが打席に立った時に、
袖をつまんでバットを回す。

桑田がマウンドでボールに話しかける(笑)。

スポーツ選手の多くが試合前に決まった音楽を聞いたりする。

たとえば、家で勉強するのであれば、
英語ならとにかく何も考えずとも音読から始める。
数学なら超簡単な計算問題(100ます計算とか)から始める。

これらは何かの作業に入るための
そして集中に向かうための
「儀式」であり「スイッチ」なのかと思うんです。

学校のチャイムにもそういう効用があるように思います。

学生時代に就職活動で面接に行った会社の中に、
朝9時の始業時に「ロッキー」のテーマがかかるところがありました。

当然、子供じゃないわけですから仕事に間に合わせるとか、
時間を守るためにあったわけではないと思います。

やはりそこには
「さあ、仕事ですよ。仕事は戦いです!気合い入れましょう!」
というメッセージがあったのでしょう。

ということで、僕は
学校にはチャイムがあった方がいいのでは、
と考えます。

また、今のところ僕自身が生徒の指導を開始するときは
「始めよっか」くらいしか言ってないのですが、
何か、「勉強頑張るぞ!」的なモノを
考えてみようかな、と思います。

う〜ん、何したらいいかなあ。
百聞は一見に如かず、か?
前回の記事はたくさんのコメントをいただき、
皆さんの率直なご意見を聞けて楽しかったです。

が、少し方向転換しておかないと
自分で修正できなくなる恐れがあるので、
全然違う話題にします。
(いっそアダルトネタで攻めてみろ、との声あり?)

「百聞は一見に如かず」
百回聞くより一回見る方が良い。

実際の体験は何物にも勝る。

ということなんでしょうが、これはこれで真理だな、と思います。

しかし、一方で

「人間が体験できることは有限だが
 思索は無限である」

のも正しいことかな、と。

バランスが大切だな、とやはり思うんですが、
孔子先生、こんなことを言ってます。

「学びて思わざれば則ち(すなわち)罔し(くらし)
 思いて学ばざれば則ち殆うし(あやうし)」

勉強しても、自分で考えないなら知識だけのおバカさん。
自分で考えても、知識を吸収しなければ単なる一人よがり。

って感じでしょうか。

さらに言うなら、(少し拡大解釈かもしれませんが)

いろんな体験をしても、そこから考えることが大切。
いろんな考えを持っても、それを裏打ちするような体験も必要。

ではないかな、と思うんです。

正直、儒教的な思想ってそんなに好きではないので
孔子はあまり好きではないんですが、
この辺はさすがだな、と思わされます。

勉強も知識を得るだけではさびしいです。
また、自分という人間の発展にもなりません。
得た知識からいろいろ「考える」ことが
きっとプラスになるはずです。
継続してね
今1時ちょっと前です。

12時前に仕事が終わって皆さんのところにコメントしてました。

携帯にメール着信。

先日、「待ってました」「がんばろう!」でお話をした生徒からでした。

文面「終わります」

指導を再開するに当たり、
・毎日の勉強をノートに記録する
・勉強開始と終了をメールで連絡する

今のところ毎日メール来てます。
今日は今までより遅くまでやったみたいです。

しばらくはこのまま頑張ってほしいな〜。
そして
「もう自分でキッチリ勉強できますから
 メールするのは終りにしていいですか?」
と言ってきてくれたらいいな〜、と思ってます。
がんばろう!
前回の記事の続きです。

お褒めのコメント?もいただいたのですが、
彼からの連絡というのは
まず間違いなく来るであろう、と思ってました。
「がんばります」というだろうとも。

もちろん彼には連絡をするのに
多少の勇気が必要ではあったかと思いますが。

ただ、今回の場合は彼の意志というよりは、
周りの状況からして、そう行動するしかなかった、
のだと考えています。

たとえば、皆さんが職場で上司から
「やる気がないならやめてしまえ!」
と叱責されたとして。
自分のやる気がなかったかなと
多少なりとも感じていれば、
「すみません」
「真剣にやります」
「がんばります」
と言うしかないでしょう。

今日、彼も教室に来て同じようなことを
言ってました。
「これからはしっかり勉強します」

で、今までは指導が週2回だったのですが、
これからどうするかを彼に聞いたところ、
週1回にしたい、と。

「なぜ週1にしたいの?その理由は?」
彼は答えることができませんでした。

(おそらく、部活できついし、やっぱり週1くらいで…
 と思ってたのでしょうが、言えなかったのかもしれません)

結局彼はさすがに今のままではまずいな、
とは思ったのでしょうが、
そのために自分がどうしなくてはならないか、
についてはあまり考えていなかったのだ、
と僕は考えています。

自分がこうしたい、という意志は
自由に持てばいいと思ってます。
ただ、自分の今の考えが正しいのか、
自分がホントにしたいことのために
今の状態が良いのか否か、
を考えることがなければ、
その意志、に実体が無くなってしまいます。

再開することは決めましたが、
週1か週2か、については
「もう一度自分でよく考えること」
と伝えました。

また、これからは毎日
・自宅で勉強を始める時と終わる時に
 祐介にメールをすること
・毎日勉強した内容、祐介からの指示、等を
 ノートに記入すること

を義務付けました。

勉強する環境にするために
多少なりとも強制力を持たせるためです。
(誰からも強制されずに勉強するのが
 ベストではありますが)

結局、僕は今回の件を利用?して
彼を勉強するしかないように
追い込んだわけです。

彼が、「もうやるしかない!」となるか
そのうちまた逃げ道を見つけ出すか、
見て行きたいと思ってます。