ある日サークルのメンバーで麻雀をしていました。
(しょっちゅうしてましたが)
つぎの日がたまたまサークルの飲み会の日で、
なぜかバツゲームで
麻雀で負けた人はある格好で当日来ること!
となり、先輩が負けちゃいました。
当日。新宿駅東口。ヒトがイッパイです。
先輩来ました。
上はタートルのセーターにジャケット。
ふつうにお洒落です。
下はサッカーの短パン。
ふつうに変態です。
(当時の短パンは太ももむきだしのホントの短パンでした)
ズボンは両肩にかけてました。
なんとなくお洒落でした。
実行しなかったものの、こんなバツゲームも考えてました。
機会があればためしてください。
1.ココスに行け!
ファミレスのココスというところは
誕生日だとお店につたえると、
お店の店員さん達がテーブルに来て
「Happy Birthday」を歌ってくれるそうです。
(これだけでも僕にとっては自殺ものですが)
これを、一人でいってやってもらう。
2.コンビニに行け!
コンビニで可愛い女性店員がいるときに、
エロ本、ティッシュ、コンニャク をセットで購入し、
さらに店員さんに
「コンニャクを人肌くらいに暖めてください!」
とお願いする。
店員さんの反応が楽しめるようなら、立派な変態です。
ハルイチさんならチャレンジできるのでは…?ハハハ。
大学生のころでした。
でも、思い返すとそれも楽しかった…
そんな話を少し。
・北海道旅行
同級生で友人のK君と夏休みに北海道にいく事に。
二人でザックをかついで、
テント泊で3週間ほどあちこち行こう、と。
で、往復のフェリーの予約は事前にすませて、
東京の竹芝桟橋(だったかな?)でまちあわせた出発当日。
僕が持ってたお金は500円でした…
さすがにK君に怒られました、ハハハ。
旅行中の諸費用は全部借りました。
・せっかく奢ってくれるのに…
友人から電話があって、
「新宿で飲もうぜ!」と。
僕「お金ないよ〜」
友「奢るから来いよ〜」
甘えて出かけようとしましたが、電車賃さえありません。
(たしか360円くらい)
う〜ん、と考えていたら、思いだしました!
なぜか、辞書の裏表紙に500円「札」をはさんでいたことを。
(もちろんすでに500円は硬貨の時代でした)
また、全く同じような状況になったことがその後ありましたが、
もう500円札もありません。
やむなく、ビンに入れていた1円玉と5円玉を持って
駅で切符を買ったこともありました。
(駅員がすごく嫌そうな顔してました)
・お金の貸し借り
学生の時は、ちょっとしたお金がなくて
困ったりもよくあること(ですよね?)。
で、前出のK君に
僕「K,千円貸してくれよ」
K 「いいけど、その前に3回廻ってワン!ってしろ」
しました。千円のために。ハハハ。
K君大喜びでした。
後日。K君が
K 「祐介、千円貸してくれ」
リベンジのチャンス、キター!
受けた屈辱は倍にして返す男、祐介です。
おもむろに靴と靴下を脱いで、足の指に千円札をはさんで
僕「ほら、くわえろよ」
K君、くわえました。千円のために。
そんなことばかりして喜んでた学生時代でした。
「石川啄木の記事以来、あれほどは盛り上がってないですね」
と言われました…
未成年は読むなって書いたのに…
下ネタでしか盛り上げれないのか…
(リアルでも下ネタになるとノリが良くなると言われます…)
そんな女子高生には
「俺の部屋のぞいたら妊娠するぞ〜」
とセクハラ全開の発言をしてやってます。
(生徒の親御さんがこれを見ないことを願ってます。
もしご覧になったら、笑って見逃してください)
久しぶりの記事に何を書こうかちょっと迷ったので、
無難に、勝手にシリーズ化させている「最近の読書」で。
「笑う警官」佐々木譲 ハルキ文庫
この人はかなり好きな作家の一人です。
バイクの話、企業、戦争、時代もの、その他、と
かなりいろいろなジャンルの話を書く人なんですが、
大きな共通点は(僕の主観によるんですが)
ほとんどの話の主人公の骨が硬いことです。
カルシウム取り過ぎ〜!
ではなくて
硬骨漢である ということです。
集団の事情、時代の流れ、権力、等、
逆らい難いものはいろいろあるのですが、
それらよりも
自分の中のルール というものを
大切にしよう、という人物が多いように感じます。
当然、損な生き方になるんですが、
損得勘定をあえて無視して(意識しないわけではないが)
自分のルールに忠実であろうとする姿勢はカッコいいです。
が、文章は変にゴツゴツと武骨ではなくて、
翻訳もののようにスタイリッシュなのも魅力の一つです。
個人的には
「ベルリン飛行指令」
「エトロフ発緊急電」
「ストックホルムの密使」
の、太平洋戦争を扱った3部作がチョーおすすめです。
これはマジで面白いです。(あくまで僕的に)
今回の「笑う警官」は北海道警が舞台で、
(筆者は北海道出身で北海道が舞台の話がけっこう多いです)
上記のとおり、組織の都合よりも、
自分の信じる正義を貫こうとする主人公を中心とした話です…。
詳しくは読んでください、ハハハ。
しばらくブログさぼっておりました。
書きたいことがなかったわけではないのですが、
8月ということで、戦争、憲法なんかのことを
チラホラと考えていたのですが、
「あんまりこういう事書いてもな〜」
という気持ちもあって、
その他のこともあんまり書く気になれず、
ウダウダと過ごしていました。
ボチボチとまた書いていこうとおもいます。
関係ないですが、甲子園決勝の審判はひどかったですね〜。
皆さん夏休みを満喫しているのだろうな…
とうらやましく思います。
で僕はどうかというと、15日だけ休みにして
キス釣りにいってそのあとパチンコに興じて来ました。
でも、お盆前後はいろんな人に久々にあうことが出来ました。
まずは高校以来の友人。
彼は大学が横浜で就職もそっちのほうなので、
年に一回くらいあうだけなんですが、
学生の時からの友達というのは気兼ねがなくてやっぱりいいです。
いまでも英語の勉強もボチボチと続けていて、
toeicのスコアも900目前だとのこと。
さらに最近までネイティブの女性とつきあっていたそうで。
やるなあ。
緑の大地さんとその子分たち(社員ですけど)
大地さんが久々に金沢にかえって来て、桃鉄三昧。
また、大地さんといろいろ話ができて
(ほとんど僕は聞き役ですが)
やっぱり自分より上の人の話を直で聞けるのはいいなあ、
と感じました。
夏休みらしい休みはないんですが、
いろんな刺激をうけた夏でした。(まだ終わってませんが)
なかなかがんばらない生徒というのがいました。
いろいろあって再開したんですが、
再開後2か月ほど様子をみていましたが、
目立った変化(成長)がありませんでした。
で、先日、僕の方から
「このまんまじゃ何にも変わってない。
自分でどうするかよく考えろ。
変わらないならやめよう」
という話をしました。
その時点では彼の意欲も切れてしまったみたいでした。
「自分で自分なりにがんばってみます」
みたいなことをいっていましたが、
言われたことさえまともにやらない状態で
一人になったらもっと堕ちていくのは目に見えています。
(僕としては他の手段、塾・他の教師等でも構わないので
自分のためにそういうものをしっかり活用する考えを
持って欲しかった)
ですが、お母さんからの懇願もあり、
なんとか続けてくださいと言われ、
昨日指導に行きました。
こうなる以前はかなりフランクに話していたのですが、
昨日は、僕は全部敬語または丁寧語で話しました。
(もう他人って感じですね)
で、彼もそれに耐えきれず、
「どうしたら元に戻ってくれますか?」と。
まあ、いうまでもないですね。
で、さらに、
「しっかり頑張ったら戻ってくれますか?」
「しっかりやる」
なぜ、それがもっと早くいえないんでしょうか?
で、僕は自分の考えていることを
いろいろ話しました。
問題はここからです。
僕は彼をけっこう長く見てきているんですが、
それだけ長く見てきて、いろんなこと、
特に「考える」ということを教えてきたのに
今回の彼の考えのなさがあまりにも残念だ、
と話をしていて、
不覚にも目が少しウルウルになってしまいました。
教えるのを7年くらいしてて初めてのことです。
それはそれで、彼には感じるものがあったようなんですが。
僕自身は教える立場として
「自分がお前のためにこれだけ思っているのに」とか
「自分がお前のためにこれだけがんばってるんだから」
ということをタテに生徒にがんばることを求める
ようなことだけはしたくないと思っています。
生徒には誰のためにでもなく、純粋に自分のために勉強してほしい。
そのために、指示を出したり、叱咤したりするのは
僕の仕事だとは考えていますが、
昨日のは絶対に自分の中のルールでは
してはならないことでした。
ということで、今日は自分に対する
嫌悪感で非常に落ち込んでいます。
(復活は早いんで大丈夫です、ハハハ)
その生徒が
「祐介があれだけ自分のことを思ってくれてるんだから
勉強しっかりがんばろう」
と考えるようには、絶対になって欲しくないな、
と願ってます。
自分のために頑張ってください。
石田ゆり子は美しかったです。
モンペに割烹着でも美しい。日本女性だな〜。
彼女となら結婚してもいい。ハハハ。
ずーっと前に原作は読んだんですが、
やはりテレビなんで、表現は若干穏やかかな、と。
ただ、爆風で一瞬のうちに人や建物が消えてしまうところは
やっぱり実写(CGなんでしょうが)の迫力がありました。
で、思ったことがあるんですが、
あらゆる人を敵にしてしまいそうで、
書こうかどうか、ちょっとだけ考えたんですが。
ホントの被害者と言えるのは、
ドラマの中の中井貴一(すごくカッコよかったです)のように、
戦争反対を声に出した人たち。
そして、子供たちや、親からの影響(後遺症)で苦しんだ人たち。
だけではないのかと。
当時の日本でほとんどの国民が戦争を支持していたはずです。
少なくとも反対の声はあげていません。
(そうでなければ、非国民でしたから)
そして、あの戦争は防衛のためのものではなかったはずです。
軍部だけが悪かった、というのはずるくはないかと。
多くの人が「戦争はいやだったんだけど…」といいます。
もし、1億人のうちの1割でも戦争反対の声をあげていれば、
もうすこし違う歴史があったのではないかと。
その点では当時の国民(大人)のほとんどには1億分の1の
責任があったのでは、と思うんです。
決して、広島・長崎の人たちがあのような目にあうべき人であった
とは思っていません。
ただ、原爆だけでなく、沖縄でも、各地の空襲でも、
戦地でも(無理矢理召集されて)、望まずになくなった人が
たくさんいたことに対して、亡くなった方も含めて
当時の日本人が完全に純粋に被害者であったとは思えないんです。
戦争に反対しなかった、という一点において。
そして、この日本人の多数派意見に逆らえない体質は
いまでも強く残っていると思うんです。
今は戦時中とは逆に戦争に対してちょっとでも肯定的な意見というのは
ゆるされない空気があるとおもいます。
「どんなことがあっても戦争をしてはならない」
「戦争について論じるなんて、お前は戦争賛成か!」
もちろん日本が積極的に戦争を始めるのは論外ですが、
仮に侵略されたらどうするんでしょう?
防衛しないんでしょうか?
侵略してくる他国の軍隊に対して軍事力で対抗するのも戦争です。
そういうことをしっかり話し合ってもいいと思うんです。
そういう点では、日本人って本質的にはあまり変わってないのかな、
と思ったりします。
あらゆる方面から、突き上げられそうです、う〜。
書いてしまいました…
特に好きな上杉景勝についてもう少し。
彼は謙信の甥にあたります。
謙信は女性といたさない人だったので、
当然子供はいませんでした。
景勝は養子となって、跡を継ぐことになります。
(もう一人の養子と後継者争いはありましたが)
景勝は前回も言ったとおり、
謙信のような天才ではありません。
ただ、要所でみせる態度が実に男らしいんです。
秀吉の死後。
家康は自分の権力を固めるために
他の大名に対していろんな形で圧力をかけてきます。
それに暴発する敵(要は石田三成ですね)をぶったたいて、
自分の政権を確立したい。
最初に圧力をかけたのは利家死後の前田家でした。
が、前田家は利家の嫁さんのまつを江戸に送る(人質です)
ことで圧力をかわしてしまう。
次の標的が上杉でした。
で、家老の直江謙続が
「そっちがやる気なら、受けてたちましょう」
と家康の挑発を受けてたつわけです。
(直江は石田三成とは非常に仲良しでした)
景勝としても、同じ大老職の家康に指図されるのは
プライドが許さなかったのかもしれません。
(もしくは全幅の信頼をおく直江に一任したのかもしれません)
で、家康は上杉(会津)討伐の軍をおこします。
(この軍が関ヶ原の東軍の母体になります)
それに対して景勝は白河近辺に決戦の地を選びます。
周囲からは一か八かの決戦より慎重策が出たりするのですが、
景勝は簡潔に答えます。
「この地で敗れれば、討ち死にするのみだ」
結局は家康の軍が関東に来たところで、三成が関西で挙兵します。
すかさず家康はとって返して関ヶ原、となるわけです。
家康は関西に向うにあたって、
息子の秀康を景勝対策として宇都宮におきます。
が、景勝は秀康とは戦いませんでした。
理由としては、
・景勝なりに、家康政権での生き残りも視野に入れていた。
・家康と戦うのは男の意地からでもあったが、
秀康とは戦う価値を感じなかったから。
と言われていますが、僕的には後者と思いたいです。
(もう完全に個人的な意見です、ハハハ)
関ヶ原によって家康は政権を確立し、
景勝としてもやむなく降伏することになります。
結果、会津120万石から米沢30万石に減封されるのですが、
家康と対立する戦略をとった家老の直江に対しても
「武運がなかったのだから、こうなったのはしかたがない」
とだけ言い、決して直江を責めなかったそうです。
(前回の記事にもあった通り、30万石のうちの5万石を
直江に与えています)
また、120万石が30万石に減ると家臣を養いつづけるのは
大変困難になります。
通常は新参や、身分の低い家臣を召し放つ(リストラですね)
のですが、景勝はそれをしませんでした。
また、ほとんどの家臣も景勝に従っていきます。
(そのために上杉家は大変貧しくなるのですが)
勝つ時は誰でもカッコいいものです。
負けてなおカッコいい景勝が僕にはたまらなく魅力的です。
あと3回分くらい語りたい気もしますが(笑)
「もうお腹いっぱい」といわれそうなので、このへんで。
またまたキス釣りに行こうかと思ってたんですが、
新しく入ってくるかもしれない生徒が一人いて、
昨日「水曜いくかもしれないんですが…」
と連絡が。
釣りは中止して、待機してるんですが、連絡ないです…
という感じでちょっと暇をもてあましている現在です。
前回の記事にちらりと書いた
新潟、山形に関係するもの、それは上杉家です。
上杉謙信で有名な上杉家は元は越後なんですが、
秀吉時代には会津120万石に転封(領地換え)
関ヶ原で家康と敵対して米沢30万石に格下げ
江戸時代には相続問題で15万石にさらに格下げ
と謙信以降はどんどん規模が小さくなっていきます。
が!上杉家の男たちというのはそれを感じさせないほどの
魅力にあふれています。
・上杉謙信
言わずと知れた名将ですね。
「敵に塩をおくった」史実は有名ですね。
軍神毘沙門天(上杉の旗といえば「毘」です)
に生涯不犯(女性に触れない)の誓いをたてます。
が、男を相手にしていたので正直微妙ではあります。
(当時は男同志というのは「衆道 しゅどう」といって
ごく一般的なことでした。
武田信玄も織田信長もそうでした)
まあ、彼は十分有名なのでおいておきます。
・上杉景勝
謙信の養子で、謙信の跡を継ぎます。
先にふれたように関ヶ原の直前に家康と敵対します。
軍事的な才能は謙信ほどではなかったかもしれませんが、
決して折れない彼の不屈の精神はとても魅力的です。
当時も
「大名は数多くいるが、男は景勝だけだ」
と評価する人もいたようです。
家康と敵対した結果、120万石を30万石に削られるのですが、
計画を立てた家臣に対しても何一つ文句をいうことはなかったそうです。
また、90万石も収入が減る時点で
家臣を減らしたり、家臣が去ったりするのが普通なのですが、
家臣団ほぼ全てが貧しくなるのを承知で景勝のもとにのこった、
という事実を見ても、彼の価値が感じられる気がします。
・直江謙続(かねつぐ)
謙信、景勝を支えた名宰相です。
関ヶ原直前に家康からの挑発に対して
一般的には「直江状」と呼ばれる手紙で
「そっちが(戦を)やるというなら受けてたとう」
と堂々と言い切ったのは有名です。
それだけの剛腹さもありながら、
一方では民政にも非常に力を入れていた人物で、
領地内を視察しては、土地土地の土を自分で舐めて、
「ここには〜を植えると良い」
ということもしていたそうです。
まさに文武両道を体現した人物です。
また、彼は会津120万石時代には30万石、
米沢30万石時代には5万石、
という破格の俸禄を受けていました。
(そのほとんどを家臣や、同僚に分け与えていたそうです)
加賀百万石の家老クラスで多くて5万石だったことを
見てもいかに破格の評価であったかわかります。
(同時に景勝の欲のなさ、気前の良さも)
しかし、謙続自身は後継ぎができなかったのですが、
(通常は養子を迎えて家の存続を図ります)
養子を迎えず、直江家を断絶させます。
つまり5万石の俸禄は藩に返してしまいます。
景勝も謙続も互いに寡欲だったんですね。
・上杉鷹山(ようざん)
上杉家中興の祖として非常に有名です。
(彼自身は養子で、上杉家と本来は無縁ですが)
逸話はたくさんあるのですが、
彼に関する本はたくさんあるので是非よんでみてください。
ここでは、彼が隠居するときに後継ぎに残した家訓?だけ書きます。
「・国家(藩)は先祖から子孫につたえるためのもので、
自分のためのものではない
・人民は国家に属するものであって、自分のための物ではない。
・国家、人民のための主君であって、
主君のために国家、人民があるのではない。」
恥ずかしながら、彼らの話を読むたびに胸があつくなるようにかんじます。
と同時に、いまの政治家に彼らの半分程の価値でもあるような人物はいるのかな〜、とも感じます。(まあ、いないでしょうが)
今日は勝手に熱くならせてもらいました、ハハハ。
「街道をゆく」もすこし先にすすんでいるので、
まとめて書いてしまいます。
ホントは書きたいことはいろいろあるんですが…(言い訳)
「10 羽州街道、佐渡のみち」
羽州はだいたい今の山形です。(出羽の国ですね)
これについてはべつに書きたいことがあるので
ちかいうちに書きます。
ヒントは前回読んだ越後(新潟)と共通するあることです。
なんかもったいぶってるような…ハハハ。
佐渡は島流しと金山のイメージが強いですね。
佐渡の金は平安時代から有名だったそうです。
ただ、金山経営が盛んになるのは江戸時代で
金というものにたいする日本人の価値観が
それ以前はそれほど重くなかったようです。
「11 肥前の諸街道」
肥前はだいたいいまの長崎でしょうか。
この司馬氏の、現代の街を歩きながら
昔に想いを馳せる書き方はかなりロマンチックではあります。
この地域はもしかすると、日本のなかでも
最も海外との接点が多かったところかもしれません。
遣隋使・遣唐使、蒙古の襲来、倭寇の基地、
戦国期の平戸・長崎の南蛮貿易、鎖国中の長崎貿易
とすべてこの地域は大なり小なり関わって来ています。
倭寇全盛の頃は、この地域の人達は
「ちょっと海を渡って一暴れするか」
って感じで船を出していたのかな、
と思うとちょっとワクワクします。
実際には倭寇は海賊というだけでなく、
密貿易者という一面もあったらしいのですが。
「12 十津川街道」
十津川は結構馴染みのない地名かも知れません。
幕末が舞台の話を読んだことがある方は知ってるかも。
十津川は奈良県の奥地の奥地、にあります。
おそらく日本に桃源郷というものがあれば
(ユートピアの意味でなく、
未開すぎて租税の対象にならなかった、という意味で)
それは十津川くらいかも、と思います。
実際、十津川というのは日本が明治以降の近代国家となるまでは
租税の義務を負うことがなかったらしいです。
そういう点では十津川は小さな自治国家であったとも言えます。
が自治を守るために、必要があれば人をだす、ということは
ずっとおこなっていたそうです。
いざというときに人(兵)は出す。見返りは求めない。
ただ、従来通りの自治と免租を認めてもらう。
ですから、幕末期、十津川郷士は勤王志士としては有名でしたが、
維新後に役人としてなりあがった人はほとんどいないようです。
(薩長土肥とは正反対ですね)
国家がその自治と独立を維持するためには
それなりの代償がやはりなにかの形で必要、なのでしょうか。
今回は数冊読んだあとなので話しもグダグダになってしまいました。
夜からとはいえ、今日はアップの最中から汗も止まらず、
体もすこし重い感じです。
いつもセンターバックで組んでる人が遅刻。
左のサイドバックはお休み。
ということで?普段は4バックなのが3バックに。
僕が3バックのセンターになりました。
全くなれない感覚にオロオロしてミスも連発。
半泣きでしたが、とにかく前に出ないで
最後で守ることだけを意識してなんとか前半は0−0で終了。
後半は遅刻のバックも加わって、いつも通りかとおもったら、
3バックのままで、僕は左サイドに。
結局3−1で負けました。
僕にとっては正直予想通りの敗戦でした。
一つはいつもと違うフォーメーションに急にしたこと。
もっと大きな理由は、相手をなめていたことです。
今回の相手はリーグ最弱といわれているチームでした。
水曜日に練習があったんですが、
その時もみんな、「楽勝〜」みたいな話をしてました。
僕はそういう雰囲気はいやだな〜、と思ってました。
やっぱり、普段通りに、そして真摯に取り組まないと
何事もダメなものです。
痛感しました…
あと、自分自身も最近結構動けていたので、
調子に乗って、(暑いのもあったんですが)
夜全然走ってませんでした…
もう今日は反省あるのみ、です…
昨日、またキスをつってきました。
3時間弱で30匹程度つって来て、今日も天ぷらです。
ウロコや頭、ハラワタを除いて、
下準備だけで1時間くらいかかります。
で、ちょうど揚げてる所にタイミングよく生徒が来ました。
ついでに僕はソバも茹でて、キス天にソバです。
女子高校生と一緒にご飯って、一部のマニアには
たまらないでしょうね〜、ハハハ。
天ぷらつくるためにいろいろ道具をそろえたので、
今のところで生活しだしてはじめて料理もし始めました。
といっても、一人分を楽につくりたいので
パスタしかつくってないですが…
今のところつくったのは、
アンチョビ入りのペペロンチーノ
ブルーチーズのクリームソース
どちらも、上出来です。
僕はパスタ4段なんで、
これからまたいろいろ作ろうかなとおもってます。





