「自分を知る」
ということを書いたんですが、
もう少しだけ書かせてもらおうと思います。
僕が書いている「自分を知る」とは
「いったい自分という人間はなんなんだろう?」
という抽象的なものではなく
(そういう意味で自分を知るのは
僕にとっては果てしない問題です)
ある目的、目標を達成するために
「自分の能力、状態を把握する」
ということです。
そのためには自分という人間を「機能」としてみなす、
ということが必要になりそうです。
スポーツであれば、その種目で必要とされる能力。
受験であれば、必要な受験科目に必要とされる能力。
仕事であれば、仕事で結果を出すのに必要とされる能力。
というように、自分の目標に対して必要なものだけを
取り出して考えることが必要でしょう。
漠然とした自分、というものを考えても答えは出ませんから。
またこのようにして自分を知ることは自分を客観視することと
イコールなわけですが、
自分の(邪魔な)感情を排除することも必要です。
自分の中の目標達成を第一に考えるならば、
「したくない」「めんどくさい」「あの人嫌い」
といった感情は余分なものでしかありません。
極論になることを恐れずにいうなら、
より合理的に目的・目標を達成したければ
人は「機械」のようにならなければならない、ということです。
簡単にできれば苦労しないって、
と自分で自分に突っ込みたくなるのですが、ハハハ。
この客観性保持して自分を知るっていうのは
すごく仕事中も学校でも普段無意識に考えてることだと思います
…が
感情抜きが難しい
何かするのに悔しかったり 怒ったり
でも仕事だとある程度ドライになれたり…
学校で実技試験とか
なぜか冷静になりだいたい一発クリアーできるのは客観的に感情が取れているのかなぁ よく本番に強いって言われます
歩きながらで文章がぐちゃぐちゃだけど
明日のテストなんとかします…
>「したくない」「めんどくさい」「あの人嫌い」
>といった感情は余分なものでしかありません。
>極論になることを恐れずにいうなら、
>より合理的に目的・目標を達成したければ
>人は「機械」のようにならなければならない、ということです。
祐介さん、おはようございます。
目標達成の極論だと思うご意見ですが、
これだと長く人生を生き抜くことができないと思います。
大学に入れば、ゴールと言う人が多く、5月病が最もいい例です。
機械になると、血の通った心がありません。
うつ病という病が増え続けるのも、
人生を学校を卒業してからの60年を見ず、目先のことにとらわれるからです。
人生、折り返し時点だと、見えてくるものがあります。
それも含め、長いスパンで、
自分を客観視できたらいいなあと思います。
51歳の「まほ」が辿ってきた道で思う感想です。
捨てていい感情、
もっていないと駄目になる志・・・そんな風にも思います。
「機械」と言うとちょっと冷たいイメージがありますが
心を「無」の状態にして客観的に自分を見ることができる、
ということは大切なことだと思います。
長い人生ずっと心を機械にして・・・というのではなく
「人生を充実させるため」、
「自分を見失わないため」に
そういった訓練をすることも大切なような気がします。
まあ、これもひとつのバランスですね。
自分のことには目を瞑って
しまいがちなんで、知らないことが
多いかもしれません。
ここは、ぐっ!と目を見開いて、
祐介さんのおっしゃるように、
自分の能力や状態を把握しておく
必要があると改めて思いました。
その目標って何でしょう?
その人生の目標には、ガッツリ自分の欲望だったり、感情だったり、野望だったりが絡み合ってるんじゃないですか?
だとしたら、心を無にしたら、多分頑張れない…私はそうみたい。自分を見つめると「雑多な」ものだらけですわ〜
自分でできることをつきつめて、リラクゼーションするメンタルトレーニングの行き着く先の状態に近いんじゃないかと。
自分の身の回りの環境で、迷いや、自分の力ではどうにもならないことなどを見極めること。また、自分自身をコントロールするための方法を見つけることができたら、いいのではないかと思います。
昂揚しているわけでなく、不安になるわけでなく、逃避することもなく恍惚感に近い落ち着きをもって効率よく取り組める状態かなぁと自分にあてはめて考えてみました。
えっと、うちのブログのことですが、
祐介さんが気にされているような、「不快」は全く感じていませんから。
だって、ほら、俺の人生のテーマは「ひとそれぞれ」だし。祐介さんが言われることは、実は、よく理解しているつもりです。
ただ、気分的に書きたいことかいただけですから。
ご心配かけて、申し訳ない。
老いていく自分を受け入れるのに
必死・・・ちょっとオーバーかな?!
でも、本音・・・ちらり・・・
裕介たんの若さがほしい!!
あはは〜〜〜
御心配かけました。ちょっと元気に
なりました。
今酒飲みながら書いてます・・・
失礼しましたア・・・・
祐介さんたびたびすみません
携帯変えたらママレモンさんとこURLわからなくなってしまったので教えてもらっていいですか?
全く感情がないのが良い、ってわけではないですが、
目標のために不要な感情を持ち続けると、
結局自分が目標を達成できない、ということです。
テストできましたか〜?
>まほさん
>捨てていい感情、
>もっていないと駄目になる志・・・そんな風にも思います。
おっしゃるとおりです。僕もそう考えてます。
僕も目標のために不要な感情は捨てなくてはならないと考えてます。
ただ、それを徹底しようと思えば、
極論として「機械」のようになるのが理想、と考えてます。
僕は常に目先のことを考えてます。
たとえば、将来したいことがあるとしても、そのためにまず解決しなくてはならないことがたくさんあります。
「小さなことからコツコツと」ってやつです。
>ママレモンさん
人生を生きるためにもいろんな感情はないとさびしいですね。
ただ、おっしゃられるようにいろんな場面において、
捨てるべき感情もあるはず、と思ってます。
>ジェレミーさん
僕も正直自分で自分のことをきちんとわかってないです、ハハハ。
ただ、今回サッカーをして自分の問題を考えた時に
それをもっと一般化、抽象化して考えたいと思って
今回の記事にしてみました。
>sweetさん
自分の感情を全て捨て去るのは難しいことです。
僕もたぶん出来ないですね。
ただ、自分の感情、意志、によってある目標を持った時に、
それを邪魔する感情というものも存在します。
僕が言いたかったのはそういう感情は捨てた方が良い、
ということです。
>握ボンさん
こっちこそ気を使っていただいてありがとうございます。
おっしゃられる状態までいけたら理想だと思います。
目標に向かう第一段階として余計な感情をなくす、
という事があると思うんですが、
握ボンさんのおっしゃることは
さらにその上の状態かなと理解してます。
受験勉強でいうなら、
僕が言ってるのが
「めんどくさい」「勉強嫌だ」
を捨てる段階。
握ボンさんがおっしゃるのが
「志望校合格!」「何点アップ!」
ということさえなくなって、
今取り組んでいる勉強に対してただひたすら没頭している段階。
「無我の境地」でしょうか。
>そらさん
そんなにうらやましい年でもないですが(笑)、
自分では人生の半分はもう過ぎたことに対して
焦りみたいなものも感じたりしますし、
また、自分がいつ死ぬか、もしかしたら明日死ぬかも、
ということをたまに感じて恐怖したりもします。
結局は自分の一日一日を生きるしかないですが。
機能的に自分を認識させて
動くってわかりますよ。
リーダーシップが得意なら
それを表にだして仕事すればいいし、
細かい配慮が苦手ならそれは
ほかの人にフォローしてもらえばいい。
そして、いらない感情の排除ってのもわかります。
いまおかれている自分の立場を考えずに
「めんどくさいからやらない」とか「おこられるからだまっておこう」とか
そんなネガティブな感情の排除ですよね?
まったくの自分のフリーな時間の
たとえば、めんどくさいから
彼女に電話するのは今日はやめておこうっていうのは自由ですよね?
そうではなく
仕事上などで、先方に一本電話いれておけば丸く収まるものを
「都合がわるいから」とか
「めんどう〜だから」とかで
電話を入れないことでのあとで揉めるとか、
そういう場面での
感情の排除ってことですよね?
すごーくわかります。
世の中それができない人もたくさんいるとおもいます。
もちろんできてる人もたくさんいますが。
長くなりました。すみません^_^;
そんな感じでご理解いただけたら嬉しいです。
ただ、ある目標に向かったときに、
自分に足りないものがある場合、
他人を上手に使うのも解決策なんですが、
やはり自分で何とかすることも
必要かな〜とは思います。
あと、めんどくさくても彼女に電話するのは
結構大事だと思います。
結構ね、そういうことをおろそかにして今まで失敗してきたような気もするんですよ…僕の場合。
必ず生きる!はず!
ぜひ今度彼女できたら
さみしくならないように
連絡つけてあげてください(笑)


